best film of 2011 樋口泰人

 

樋口泰人 (boid)


images.jpgとにかく映画を数多く見られない生活が続いているので毎年ベスト10選出は巧妙に避けてきたと言うか、本当に偶然どこからも声がかからなかったのであまり気にせず何年も過ごしてきたのだけれど、今年は何故か2カ所から声をかけられ、何となく引き受けてしまったものの2カ所とも同じベスト10では芸がないから、もう一カ所の「映画秘宝」は爆音で上映したい作品というくくりをつけてみた。

で、こちらはもうちょっと枠を広くしたわけだが、基本的には、「We can’t go home again」という言葉が現実になってしまった日本における「その後」をいかに生きるか、というこちらの勝手なテーマとともに選んだわけである(これは「映画秘宝」でも同じ)。DOOM!のためのベスト10には、boidの配給作品は入れなかった。本来ならこの中に当然『パレルモ・シューティング』を入れたいところである。『パレルモ・シューティング』の裏側には、当然、『夢の涯てまでも』が貼り付いていて、この2本が90年代からゼロ年代までの20年間をすべて物語っているのではないかとさえ思っている。ヴェンダースの20年間の更に外側へと踏み出す映画、我々をその外側へと踏み出させてしまう映画、というセレクションでもあるのかもしれない。つまり「映画」の外側への長い旅の始まりの年として、2011年が後に記憶されるのかもしれないと、ふと思ったりしたわけだが、もちろん毎年それは更新されているわけである。

http://www.boid-s.com

 
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『ヒア アフター』
2011年の映画1本と言ったら、やはりこれしかないかな


『ソーシャル・ネットワーク』
 映画に必要なのは言葉と声と文字、ということさえ思った。コスプレの時代の洗練の極みのような映画ではないか


『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』

 爆音が敗北して小さな声の集積が勝利する、その小さな声に震えた


『アンストッパブル』
 
小さな職人の小さな義憤が暴走列車以上に暴走する、小ささと大きさの同居に


『東京公園』
 
あの時もこの時も引き連れた「その後」の風景に、何年後もきっと涙するに違いない


『サウダーヂ』
そこに映っていることが地方の現実でも何でもなく、私たちの幻影でしかないその哀しさに


『ウィンターズ・ボーン』
 
女性たちの時代がやって来る。いや、来ているのに誰も気付かないふりをしている。そんなことを思わせてくれる映画。視線のあり方が他の映画と全然違う。空族の高野貴子の「他界」とセットで見てみると、もはや時代は彼女たちのところにあるのがはっきり分かるのではないかとさえ思う。男たちは「その後」の残務処理をやるに過ぎない。


『エッセンシャル・キリング』

 男たちの残務処理を、最も懸命に笑ってしまうほど生真面目にやった映画ではないか


『孤独な惑星』
男性監督にも関わらず「ウィンターズ・ボーン」に最も近い視線を獲得しているように思った


『死ね!死ね!シネマ』
「エッセンシャル・キリング」同様、残務処理を自ら意識的に引き受けて、その過酷さそのものを映画にしてしまった映画と言えるのでは

 

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