EXP/2015によせて


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牧野貴さんとこのEXPという西日本上映ツアーを企画するようになって今年で三年目になる。
そもそものはじまりについてはこちらを読んでみてください。
二年前に書いたものだけど、今年の上映も二年前からの地続きにあるので、気になる人は読んでみるのも悪くないと思う。

二年前、大阪での上映時に牧野さんとトークをさせてもらって、そのときの話の中で牧野さんは自身の映画について「エネルギーの塊のような作品をつくって、観た人それぞれが様々なものを受け取ってくれればいい」というようなことを言っていた。
確かに、牧野さんの作品を見た人はそれぞれが違うものを見ている。僕自身は牧野さんの作品から宇宙だとか遺伝子レベルで身体に刻まれた記憶だとか、なんだか壮大なものをとてもよく感じるのだけど、一緒にやってるDOOM!の福井さんは『Space Noise』を観たときに「黒人が竹林で踊っていた」と言っていて(それも「絶対に牧野さんはそのシーンを撮ってる!」という自信を持って)とても驚くと同時に戸惑いもした。その戸惑いはもちろん「黒人が竹林でダンスしているシーンを見逃した」というものではなく、こんなにも人は好き勝手なものを観ているのかというものだった。

(ちなみに竹林でダンスする黒人が観れるかもしれない『Space Noise』はこんな作品です。)

僕自身、実験映画というものそれ自体に強い関心を持っているというわけではないので、あまり専門的な立場から牧野さんの作品を語ることができないのだが、それでもやはり牧野さんの作品にひかれるのは、劇映画を観ているとついつい感じてしまう「みんな同じ映像を観ている」という感覚、それはつまり映画という芸術が備える「同じ場所、同じ時間に同じスクリーンを見つめる」というコンセプトがそうさせるのかはわからないが、その感覚の危うさを衝いてくるというところが大きい。
何か大きな物語があって、それを皆で共有すること。「あのシーン良かったよね」なんて言いながらついつい映画について語ってしまうのだが、しかしそこで語られる「あのシーン」は一人一人別ものとして観ているのだから、果たして共有など出来るのだろうか? 僕が観た「あのシーン」とあなたが観た「あのシーン」は同じなのか? そんなことをいちいち問い直す必要などないのかもしれないが、しかしそのことに疑問を持たないことは危険なことだ。

今回大阪でのみ上映される『2012 3D』はまさにその場で観た観客同士が「あれ見た?」と確認することが出来ない映画になっている。なにしろこの3Dというのも、シネコンで配られるような電池が入っていたりするようなものではなく、プリュフリッヒ効果という片方の眼に入ってくる光の量を減光フィルターで抑えることによって目の前のものが立体的に浮かび上がるようになるというもの。右目にフィルターを入れてもいいし、左目でもいい。どちらも試してみたらわかるけど、どっちにするかで見え方がまるで違ってくる。もちろんフィルターをかけなくてもいい。自分だけでも3通りの映画の見え方があるのに、他の人が同じものを見ているなんてとてもじゃないけど思えない作品になっている。