2016年6月


6/30

『レジェンド 狂気の美学』を。監督はブライアン・ヘルゲランド。期待して見たためかあまり面白くなかった。そのあと『ダーク・プレイス』を。みんな過去にしばられ幸せではないのだが、無知や不勉強や無教養が招いた結果だよなと。これもあまり面白くはなかった。

 

6/29

大掛かりな規模のプログラムを書かないといけない流れになっていて、ふと別のやり方を思いつき、このやり方でできるならプログラム書かなくてもいいじゃん!と思って一日かけて検証をしてみたらやっぱりだめだった。まぁ一日の検証で結果が出ただけマシか。

 

6/28

調べ物をしていたら一日が終わった。

 

6/27

この間実家に帰ったときにチケットをもらっていた『探偵ミタライの事件簿 星籠の海』を観た。地元が製作に関わってるらしく、その地元の商工会議所が父親の務める会社にチケットを買ってくれといい、その買わされたチケットを父親がもらって、映画に興味のない父親からもらった形。タライ回しのチケット。
日本映画にある一定存在する安定のひどさが遺憾無く発揮されていた。とくにプロデューサーと脚本の仕事がひどい。街が出資しているからか、街の名所っぽいところでロケさせたいって依頼があったんだろうけど、それをただただ飲み込んで台詞を言わせる空間にしてしまっている。使わされるロケ地を面白く使ってやろうという意気込みゼロ。原作を映画に変換する上でテキストを映像に置き換えるという工夫もゼロ。全部台詞になっている。要潤の方言むちゃくちゃ。関西弁混ざってる。あとこれは原作からだろうけど、製薬会社が裏で違法ドラッグを作っているという話が出てくるのだけど、その違法ドラッグを精製している従業員はみんな外人だったのかというのがとても気になった。物語の中でも直接他人に危害を加えるのはいつも外人で、悪いことはすべて外人がやっているとでも言いたげななんとも気味の悪い設定だった。
夜は『クリーピー』を。面白かった。ほんとに面白い映画についてはそんなに書くことないなぁ。

 

6/26

今年も星空ツアー準備中です。

 

6/25

深夜労働。

 

6/24

線を引く社会と線を引かない社会だと線を引く社会の方がわかりやすく簡単ではあるけれど、その簡単さゆえに奪われる自由や多様性はあまりに大きくて、だからこそ線を引かない社会を選んだはずなのに、線を引かない社会の困難に負けて少しだけ後戻りする時代になってきているのかな。もちろん線を引くことで守られる自由があるからこその選択なのだろうけど、結果的にその選択によって失う自由が出てくるだろうから、そのときに新しい社会の形が見えてくることを期待するしかない。

 

6/23

『団地』『エクスマキナ』『シークレット・アイズ』『教授のおかしな妄想殺人』の4本見た一日。
『団地』はおしっこを我慢しすぎたらおしっこがどこかに消えておしっこしなくても良くなるという神秘と宇宙の神秘が同列に語られる愉快な映画だった。
『エクスマキナ』はAIというものがいよいよ現実味を帯びてくる中で作られた作品でありながら特に新しさというか面白みのない映画だった。というかむしろ話自体は閉じ込められた女の子に恋をして外の世界に連れ出そうとするという古くさい話で、最後の展開も決して面白いものではなかった。不満ばかりがある。
『シークレット・アイズ』は思いのほかよかった。友達みんなで罪を飲み込む話。こういう映画見ると、悪いことをしている友達のことを見て見ぬ振りをして正さないのは友達じゃないみたいな言葉が欺瞞に思える。不満がないわけではまったくないが、まぁ良かったかな。
『教授のおかしな妄想殺人』はいつものウディ・アレンという感じで、いいんじゃないでしょうか。

 

6/22

夕方に猛烈に疲れて昼寝したら俳優の川瀬陽太さんと一緒に餃子を作る夢を見た。食べる前に夢から覚めた。
報道ステーションで義足のアスリートがオリンピックで健常者と一緒に戦いたがっているというのが流れてた。
競技は走り幅跳びで、その義足の人は健常者とやっても金メダルが狙えるようなレベルらしい。現状では「義足の方が優れていないことを証明」できない限り一緒にはやれないとのこと。
これに対して義足の選手が納得できないのは当然だろうけど、かといって一緒にやったとしても誰も納得はできないように思う。足のバネの力が明らかに義足の方が強いみたいだし。
ということは健常者の踏み切り場所にバネを置いた走り幅バネ跳びっていう競技をやったらフェアなんじゃないかと思った。義足はバネの力が常にあるから、そのバネが同じになるように計算したらいいんじゃないかと。なかなか面白い競技になると思うんだけどなあ、どうだろう。走り幅バネ跳び。

 

6/21

一年前に書いたプログラムのコードなんて覚えていませんよ
にんげんだもの
はやと

 

6/20

見逃すところだった『サウスポー』を難波で。中盤までは主役のジェイク・ギレンホールのぐずっぷりに付き合うのがだるかったが、うるさく喚き散らさなくなってからよくなった。
『二ツ星の料理人』も観たが、これはいまいち。シェフみたいに映画を見ながら食欲が出てくるようなものにはなっていなかった。撮影がよろしくない。料理や調理の撮り方がよくないというのもあるが、うまそうに食ってるシーンがほとんどないってのが大きい。なぜかゲイの人物がいたり、主人公の過去が中途半端に出たり消えたりして、脚本も何を描きたいのか定まっていないふらふらしたものだった。

 

6/19

やることが多くて疲れてきたが、この程度で疲れたとか言ってると周りにいる「我こそは労働者なり」という顔をした人たちにうざがられるので、もっと積極的にアピールしようと思う。

 

6/18

深夜に梅田であれこれ。『マネーモンスター』で机の上に置かれた銃とそれを取ろうかと悩むジョージ・クルーニーの距離感の絶妙さを思い出す。あの距離感を撮れるということはジョディー・フォスターはなかなかなアクション監督なのかもしれない。

 

6/17

パソコンのあれこれの続き。足らないものをいくつか梅田に買いに行った。ベイビーステップの新刊も読んだ。

 

6/16

パソコンを組み立てる一日。仕事用の机を組み替えたりWindows(結局OS買った)とubuntuをデュアルブートさせたりしてたら夜になってた。

 

6/15

ガンバの試合を観に吹田のスタジアムへ。すごくいい環境だったけど、駅から遠いな!!帰りの混雑とあいまってなかなかな過酷さだった。これ夏場の昼の試合だったらほんと悲惨なことになりそう。

 

6/14

実家二日目。倉庫の片付けをして、昼から近所のホームセンターへ。ミントとローズマリーを買った。その話を姉にしたらもう一度そのホームセンターに行くことになり、結局この二日の帰省で出かけたのはホームセンターだけだった。
大阪に帰ってから『マネーモンスター』を。テレビでは見れないもの、カメラだけでは映せないものがぼんやりと映っていた気がする。

 

6/13

朝から昨日買ったPCのパーツが届いた。が、昼から実家に帰らなければならないので組み立てるのはまた後日。
昼にまるせでカレーを食って、そのあとバスに乗って帰省。

 

6/12

仕事用のパソコンを買った。久しぶりに組み立てのパソコンにしようと思って、でもパーツのことイマイチわかってないから店員さんにほとんど決めてもらったかたちになったけれど、必要なCPUには金をかけ、不要なビデオカードには金を掛けないという最小構成で最大化を狙うようなもんにしたら10万かからなかった。まあディスプレイもOSもないからこんなもんか。

 

6/11

中山さんとお茶。『ルーム』の話を結構した。
福島のネミ屋近くのいっつも並んでるラーメン屋に行ってみたけど普通だった。いつも行ってるとこの方が断然うまい。

 

6/10

直接的にはお金にならない仕事とはメールでのやり取りだとか打ち合わせだとか段取りだとかなわけだけど、仕事の大部分はこういうところにある。てかこれが7割くらいか。

 

6/9

きんたまのiPhoneが壊れたので乗り換えにつきそう。そんなもん一人でできるやろと思っている者としては、一人ではできない場合もあるのだということがよくわかった。

 

6/8

直接的にはお金にならない仕事をする。

 

6/7

『ヒメアノ〜ル』を見た。全体的に野暮ったい映画ではあるけれど、とにかく森田剛が素晴らしい。森田剛をずっと見ていたいという欲求だけで見ていられる映画。

 

6/6

朝から京都の日本海側へ。舞鶴と宮津に行った。岩牡蠣がうまかった。スーパーで買ったその日に揚がったというハマチもうまかった。

 

6/5

ついに全仏をジョコビッチがとった。あのとんでもなく強いジョコビッチでさえ、あと少しで優勝できるとなるとプレーが安定しなくなる。その隙をマレーがついていたけれど、逆にマレーも勝利の可能性に揺らいでいたようでもあった。修造じゃないけれど、テニスはほんとメンタルがよく見える。気合いだ!気合いだ!気合いだーー!!

 

6/4

セレナが負けてムグルッサが優勝。若くてプレーも度胸があってすがすがしい優勝だった。

 

6/3

見逃していた『ルーム』をリーブルで。これが意外とよかった。部屋からの脱出が映画の着地点とならず、その後の生活になじめない様子が映画の後半を占める。脱出だけの映画になると閉じ込めていたヤツがわかりやすい悪として出てくるが、脱出後の時間をうまく過ごせないのは誰かが悪いわけでもなく、その中で唯一子供の成長だけが救いとなっていた。

 

6/2

『山河ノスタルジア』を観た。Pet Shop Boysの「Go West」が冒頭から流れ、一瞬のミュージカルシーンのようなその祝祭に浮かれる。新年を祝う花火が上げられ、歌を歌い、その祝祭はしばらく続くが、その花火も次第にきれいな火花は消え爆発音のみとなり、ダイナマイトへと姿を変える。祝祭は消えるが「Go West」というフレーズだけは物語の中に生き続け、西側への憧憬と嫉妬がゆるやかに人物を包む。
とはいえ、西側へと移ったとしても誰も幸せにはなっていない。西側に反発しても幸せではない。西側への憬れを残しながら小躍りするくらいが唯一幸せなのかもしれない。なんでここに映る人たちは不幸せそうなのか、理由らしきものは時間の経過に隠れて描かれることはなくよくわからない。よくわからないが、言葉で説明しようとするということはなく、その潔さはいい。不幸の言い訳は聞きたくない。

 

6/1

映画講義3回目。一年生は毎年恒例のキートン。キートンやそのくらいの時代の映画を見せると、エンドマークが出たときにいつもかならず拍手があがる。何か事前に言っているわけでもなく本当に自然と拍手があがるので毎度感動するのだけど、今の映画はエンドロールのせいでそういうことが起こりにくくなっているというだけでとんでもなく大きな損をしていると感じた。