明らかに需要と供給のバランスがおかしい。しかし、世の中の経済がそうであるように商品と同じく映画だって、観客が願おうがそうでなかろうが、いくらでも映画が量産され流通していく。それらを無視したって一向に構わないし「どうせこんなもんだろ?」と見切りをつけるのも簡単だが、それでも不毛であろうがなんであろうが、われわれはそれらを見ていた。凝視することにした。
「エーガ」と読んで、「情報」と書くようなそんなどうしようもない物量の大波を受け止めながら、危うくもそんな映画をとりまく希薄な状況を、変えるとまでは言わないもののもっと違った「感触」を与えられないものか。たんなる取捨選択による洗練とは程遠いもの。固有の作品の枠からはみ出た総体としての「映画」の可視的でパフォーマティヴな動きを作り出したかった。
しかし、どこまでも肯定的に映画を言語化することを進めていく中で、突然に富田監督と出会った。それは交通事故のようなものであった。
初めて出会ったときから、富田克也は「自分たちの作品をちょっとずつでも時間をかけてじわじわと見る者に届けたい」と語っていた。実際に月例での上映会も自分たちで催していた。
完全にインディペンデントの映画では、それは当然と言えば当然な姿勢かもしれないが、その上映活動を粘り強く、自分たちの「血肉」にしていく作業には刺激を受けた。いろんな人の「声」を聞き入れ、吸収し染み込ませていく作業。
そして、富田克也はひとりではなかった。彼が名乗る「空族」という存在は、所謂かつての活動屋の意味での「富田組」ではなかった。
その後、2009年1月にわれわれが『国道20号線』『花物語バビロン』『かたびら街』『雲の上』の空族作品を一挙上映することになり、映画監督=作家という枠組みだけでは捉えられない映画製作体系をもった集団であるということが見えて来た。また彼らは日常生活の延長線上に映画制作がある。なにせ富田はガキの頃からの友人を主演に映画を作りたかったと当時の動機を話す。それが今では空族映画に欠かすことができない、もはや空族の重要なエンジンでもある鷹野毅と伊藤仁である。このトライアングルは当時から今にいたって何も変わらない。そして、富田の相方である相澤虎之助は脚本にとどまらず撮影から何まですべてこなすオールラウンドプレイヤーといえる。
平日はトラック運転手、バイク修理工、日焼けサロン、土方をやっている彼らが作り出す半狂乱な映画は、社会が(つまり私たちが)知らず知らずのうちに(知らないふりをして)排除していた人間と風景を追いかける。それは偏った視点になりかねないが、主体性がありながらも極めて客観的な距離感で語られる世界はどうやら高野貴子というカメラマンの存在が大きいのだろうということも感じられた。空族の映画でスクリーンを飛び出さんばかりの個性的な人物や風景を彩る存在を平等に撮影することを心がけると彼女は言う。監督作である『他界』では、失踪した人物を捜索とも徘徊とも呼べる移動によって、その土地の歴史を圧縮した自由と拘束の時空を見事に描いている。役者ではないその土地の者の生々しい声を聴くシーンは、演出というフレームからはみ出たまさにそこで偶然にも語っただけ映り込んだだけと言えるほど、彼女が撮影するその対象は鮮やかに「その場と人」の空気を捉える。
そして、高野が一切撮影に関わっていない富田自身が撮影した『Furusato2009』が奇しくもその上記の描写において『他界』とあまりに相似性があることを記しておく。まさに目の前で起こったことを撮影しただけという潔さと、どの対象にカメラを向け、切り取るべきかを入念に計算された慎重さが同じ意味であるということにおいて。
そして、われわれは空族の新作『サウダーヂ』の撮影を何度か手伝いに行ったのだが、撮影中いつの間にか周りには空族の友人たちや通りがかりの人たち、はたまたヤクザに警察まで集まりはじめ、とても賑やかだった。もちろん今作でも重要な役である鷹野毅や伊藤仁は現場で交通整理をしたり通りがかりの人をエキストラに引っ張って来たり、これから撮影されるカットに対してアイデアを追加してきたりと忙しくしていた。現場での富田克也はほとんど何をするでもなく、役者やスタッフから出されたアイデアに対して「それいいねぇ」と実行したりしなかったりで、2010年の爆音映画祭での中原昌也氏との対談では「私は現場で演出をしているのではなく引率をしているのです」と洒落たことを言っていたが、イントロダクションに字数もかけられないので詳細については本書の内容に預けるとしよう。とりあえず、空族とはそういう人間の集まりだ。