あらゆることがめんどくさくてどうでもいい

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橋下や片山さつきや河本やstudygiftなど、ここ数日だけでも人の怒りの矛先があらゆるところに向かっているのを見ていてとても気分が悪い。


とはいえこんなものは今に始まったことでもなく、タレントが不祥事を起こしてバッシング、しばらくテレビに出れなくなるなんて日常茶飯事。

他人の人生の失態に対してそんなに怒らなくてもと思わないでも無いし、とはいえ政治家がふざけたことを言ってると腹も立つのだが、誰しもミスは犯すものだし、まるで罰するかのような言葉まで使わなくてもいいじゃないかと思う。たとえそいつが何かを罰するようなひどい言葉を放っていたとしても、同じように罰していいとは思わないけど、それでも罰していたい人はそうすればいいと思うけど、そんなこと言ってどうしたいの?というのが本音。
というのも、イベントをやる上で僕自身がいろんな人をよく怒らせていて、それでもその人たちの寛大さの上で今もなんとかここにいるという人を怒らせる側の人間なので、人のことを怒るだなんてとても出来ない。
もちろん怒らせたいと思って行動しているわけではなく、僕としては成功のために向かって動いているだけなのだけど、それでもその行動の端々から、きっと人を不快にさせる何かが出ているのだと思う。それについてはただただ申し訳ございませんという次第で、とても反省しています。。。って、なんの話だっけ。
とにかくいろんな人に怒られるわけですが、中には未だにまったく許してもらえてない人もいたりして(それもすべて僕のせいですが)、そういうときに思うのは、その怒っている人にとっても僕が今成功させようとしているものは利益があるはずなのに、なんでこんなに怒っているんだろうかということで、それがあまりに長く激しくなってくると、この人は今ここでイベントを中止させたいのか?とか、俺に死んでもらいたいのか?とか、そんなことすら思うわけです。
こんなに人に恨まれたり憎まれたりするなら別にやめたっていいのだけどと思いながら、それでも今もこうして日記まで書いているわけですが、なにはともあれ相手が許してくれたり、あるいは相手が少なかったり、怒りの声が聴こえなくなるのでなんとか生きている次第です。
そういう者からすると、ミスを犯したものへの非難や罵倒というのは読んでいてつらい。読んでみても批判の言葉に愛がないものが多いから、「それを言ってあなたはどうしたいんですか?」としか思えないし、でもそれが一瞬なら突発的に出た感情の発露かなと思わないでもないけど、粘着してるとやっぱり「お前死ねや」と言ってるように思えてきます。
実際、studygiftはサービスが停止状態になったわけだし、G+で有名になった坂口さんのSNSは金環日蝕の写真を最後に放置された状態。
実際に死んだわけじゃないけど、ウェブ上からは消えた=死んだ状態。この手の過激なバッシングが本当に人を殺す状況なんて、これまで散々メディアを通して見て来たはずなのに、そんなことをして満足なのだろうか。。。
片山さつきの発言は人格疑うものだし、河本の事情はいろいろあるだろうし(でも調べた限り非はなさそうだけど)、橋下のやってることは酷いことだと思うし(それでも平松が市長になってたよりはマシだと思う)、studygiftの件は失敗はあるけどあそこまで非難される理由は見当たらなかった。
人それぞれ腹の立つことはいろいろだし、ちゃんと腹を立てて文句を言うのは絶対に必要なことだけど、その腹の立て方ってのがあると思います。
今のままだと、不祥事に怒って、抹殺されるまで行って、後味悪くなって終わるだけで誰もが腹立ち損ですよ。せっかくならその怒りを有益な形であとに続く何かを残せたらいいのにと思う。
怒りを感じることって、その対象がその人にとって大事なものだったりします。大事なことのためなら、時間を割いて思考を巡らせたり、行動したりするのって難しくないもの。その感情が大事なものを守ります。同時に、怒りは人を傷つけることも出来る。
怒りは矛であり盾である、というのは、矛盾しないから慎重に扱わないといけない。それってすげーめんどくさいことですけどね。
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