爆音映画祭 6/1


ということで爆音映画祭2日目。
と言っても今日はほとんどバウスに行っていないので特に書ける事もなく、昼間は七月の牧野貴さんとの西日本上映ツアーの最終打ち合わせをして、それから『サンダーボルト』へ進んだ。


この作品が作られたのはアメリカンニューシネマが下火になる頃の74年。
朝鮮戦争で闘った英雄”サンダーボルト”とベトナム帰りの”ライトフット”の二人が物語の軸となる。
稲妻と呼ばれる男と、軽足と名乗る男が生む敗北の物語、と言えばアメリカンニューシネマの系譜に入らないでもないかと思えるが、どうもアメリカンニューシネマが描いている敗北とは大きな違いがあるように思える。
アメリカンニューシネマでは、多くの若者が圧倒的に大きな権力を前にして反抗し、無鉄砲に、半ば自棄になるようにして時代を突き抜けていく。そしてそこで大きな衝突を起こし、やはり圧倒的な力の前に敗れる。
ここでのライトフットの役柄は、アメリカンニューシネマで描かれてきた人物と近いと言えるかもしれない。彼の前のめりの行動、まさしく足の軽さとでも言うべきものは、人を惹き付け、巻き込み、新たな賭けを試みさせる火の粉となる。
しかしどれだけライトフットが勢いよくサンダーボルトに生意気を語ったところで、彼の行く先は大きなバスに道を塞がれている。彼が備える軽さとは、簡単に止まる事ができてしまう軽さでもある。
そう、軽さだけでは、速さだけではダメなのだ。まさしく稲妻の如き速度と力が必要なのだ。英雄とはそのような力を持った存在のことであり、だからこそ、旧友のレッドも、そしてライトフットもサンダーボルトに憧れるのだろう。
終盤、「俺たち勝ったんだよな」とライトフットは呟くが、確かに彼らは勝ったのかもしれない。その点で、勝てもしない戦いを挑むアメリカンニューシネマの人物とは大きな違いがある。勝てもしな勝負に敗北はないはずだ。
彼らはおそらく勝っていながら、それでも敗北の苦さを味わざるを得ない。あの葉巻の割れる音からは、そのような敗者の音が響いていた。
敗北とは、何か外部の大きな力によって生まれるのではなく、それぞれの肉体に眠る力によって招くのだと、イーストウッドはいつもの苦い顔をしながら語るようであった。

それから湯浅さんの明日のアナログばかマラソンの仕込みを手伝った。
もう本当に企画する人もやる人もばかなんだなぁとしか言いようがないけど、今年はなんと12時間ひたすらレコードを聴きまくる。鈴鹿8耐ならぬ吉祥寺12耐。
なんかもうあまりにばかばかしいので、アナログアスリートですねと勝手に名付けておいた。
しかしやはり極上の音が響いていたので、観客は耐久どころか心地いい時間を過ごせることだと思います。問題は機材が耐えれるかどうか。今年は何を壊すやら・・・
壊す前の和やかな湯浅さんの写真でも載せておこう。
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