金子光亮 (劇場分子)
しばき倒したなかから10本選ぶのは難しい(新作旧作のべ489本鑑賞)。今の気分と好きなぶらぶら映画を中心にセレクトしてみました。イタリア映画やアニメーション、原発関連にも優れた映画、記憶すべき映画がたくさんありましたが、2011年はステキな金縛りにでも遭ったかのように亡霊、ゴーストものに痺れた年だったと思います。どうしてそうだったのか、その理由が知りたくなったら、こんど後ろに立っているブンミおじさんにそっと尋ねてみることにします。
『ヒア アフター』 (クリント・イーストウッド)
2011年はこの一本であれやこれやを言い表せるような気がする。
『トスカーナの贋作』 (アッバス・キアロスタミ)
監督が初めて外国で撮影したぶらぶら映画がラブラブ映画になる瞬間があるように、他人、恋人、夫婦、やもめ、亡霊……が映り込んでいる映画。
『ブンミおじさんの森』 (アピチャッポン・ウィーラセタクン)
ビクトル・エリセの『マルメロの陽光』を見事にタイ、アジアの風土で換骨奪胎した。監督に直接尋ねたら「ばれました?」って言いそう。
『ゴダール・ソシアリスム』 (ジャン・リュック・ゴダール)
「ゴースト・ソシアリスム」と改題してもw ネガとポジの映画。フィルムとデジタル、前半と後半、白と黒、戦争と戦争、ハリウッドと映画、映画と映画……。
『ゴーストライター』 (ロマン・ポランスキー)
ハワード・ホークスのように「何もない」ような映画。曇天下、主人公があっちこっちとうろうろしている間にことが終わっている。なのに面白いゴースト映画。
『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』 (ブラッド・バード)
観客に映画の物語がまったく頭に残らないようにするには砂嵐をおこして逃げ手だけでなく追っ手の主人公そのものをスクリーンから消し去ればいい。
『平成ジレンマ』 (齋藤潤一)
2012年の年頭にマスゴミで「ほれ見ろ」的に取り上げられていた戸塚ヨットスクールと戸塚氏が実際はどんなところにあるのかを見つめた映画。「子供たち」を自分で育てられなくなっている家族そのものに思いを馳せる。
『大鹿村騒動記』 (阪本順治)
監督も役者もみんな鹿じゃなく馬鹿なんですよ。ちなみに今年はたくさんのウマ映画を見て馬鹿になろう。
『百合子、ダスヴィダーニヤ』 (浜野佐知)
とびっきり美しいフィルム。正真正銘のフィルム映画には何十年も前の美しくも苛烈な愛が感光していた。21世紀でもまだ光り輝きすぎてぼんやりとしか見えないかも知れない。
『おばあちゃん女の子』 (横浜聡子)
鈴木卓爾監督の『私は猫ストーカー』からちょろっと頂いたかのように、おばあちゃんと女の子とお腹の女の子(勝手な想像)と猫(?)が一緒になってあっちこっちぶらぶらする。変貌する人と世界観の広がりに飛び上がり、不安でいっぱいなおばあちゃんや女の子たちに「案外、大丈夫だよ」とあと押ししてくれるような映画。